累積の土塁で防御若林


周囲に30間の濠を巡らし、高さ2丈の土手を築いたとある。1627(寛永4)年名取郡小泉村若林の古城を再興「屋敷構え」の許可、幕府から出る。普請開始して江戸へ。翌土塁普請に名取、刈田、柴田、伊具、亘理、の人足で六月七日まで完成と厳令。

奥山常良に指示、名取、宮城の萱を1日も早くと調達の命。城の東南に櫓、北に築山。11月帰仙して入城。