開墾のあとはいっぷくお休み場


養賢堂の学頭・大泉平泉が藩校の拡充を計画。資金調達のため若林東部に学田を設け、開墾。藩主もしばしば訪れて視察の後は「お休み場」で休息。若林5丁目に旧「南小泉字御休場」の町名が存在。

大正11年大泉多蔵氏がこれを記念して南小泉桃源院東に石碑を建立。
その後都市計画などで石碑は移動。現在、若林市民センターに移設。