陸奥の国奈良天平の伽藍かな


741(天平13)年、聖武天皇が諸国に勅して国分寺、国分尼寺の詔を発す。
当若林のものは日本最北の官寺で東大寺式伽藍配置。東西240mの方形の規模。869(貞観11)年陸奥の国大地震で倒壊、陸奥国修復府を設けて復興。

1189(文治5)年奥州合戦(平泉藤原氏が榴ケ岡、宮城野原で頼朝と戦う)で焼失。